スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

20110726

7月26日(火曜日)曇天

 ISOをご存知だろうか。

2011072601

 ISO(アイ エス オー)
 製造業や建設業に携わる人には、馴染みの深い言葉だと思う。International Organization for Standardizationの略称で、日本語では「国際標準化機構」と翻訳されている。本来は組織の名称なのだが、一般的にはそこで作られた国際規格そのものを指すことが多い。
 ISOの規格には実に様々なものがある。僕の勤める会社では、その中の「品質マネジメントシステム(ISO9001)」と「環境マネジメントシステム(ISO14001)」、そして「労働安全衛生マネジメントシステム(OHSAS18001)」を運用している。この3つの規格の特徴は、製品そのものにではなく、企業の管理体制(マネジメント)に対して規格化を求めている点にある。簡単にいうと、効果的な仕事の進め方を構築するためのものだ。
 これらのISO規格を取得し維持するためには、外部の専門機関の認証を受け、さらに定期的な審査に合格し続けなければならない。運用の継続には「人、モノ、金」の投入が不可欠となり、企業経営に与える負荷は相当な規模となる。

 7月25日と26日の2日間にわたり、前述の環境マネジメントシステム(ISO14001)の外部審査(サーベイランス審査)が実施された。今回わが社を担当する審査員はD氏。契約している某認証機関のなかでは“かなりのやり手”と聞いていた。審査への対応は僕の仕事である。
 まああれだ、はっきり言ってボコボコにやられた。向かい合ってまともに質疑応答ができたのは最初のうちだけだった。的を射ない僕の回答に業を煮やしたD氏は、すぐに審査のスタイルを変更した。彼は席を立ち、ホワイトボードを使って質問の説明を始めた。分かりやすく、そして丁寧に。膝を揃えてうなずき続ける僕。遅々として時は過ぎない。まるで補習中の教師と生徒である。

 降り続ける雨もいつかはあがる。耐えていれば嵐も過ぎる。明けない夜はない。

 数個のダメ出しとシステムの改善指示の宿題をもらったが、なんとか審査は終わった。矢尽き刀折れまさに満身創痍の僕は、這うようにしてD氏を社屋の玄関までお見送りした。ウインカーを点滅させて彼の乗ったタクシーがゆっくりと遠ざかってゆく。ぼんやりと眺めながら僕は思う、パンクすればいいのに――

2011072602

 事務屋の仕事は出来てあたりまえである。修羅場をかいくぐっても誰も褒めてくれない(笑
 今日はロードバイクで出勤していた。
 帰りは少し遠回りをして、維新公園のハトさんと鯉さんにパンくずをあげた。ちょっと癒された。
2011072603


 お疲れさま自分。泣かずによくがんばったな。
2011072605


 本日帰路のデータ(赤潮サイコン)

 走行距離  27.7㎞
 走行時間  1:02
 最高速度  44.1㎞/h
 アベレージ 27.1㎞/h


 クルクルに集中していると、モヤモヤも忘れる。

スポンサーサイト

阿蘇望留守番ポタ

7月24日(日曜日)
 阿蘇望の留守番組でサイクリングにいってきた。メンバーは4名。新ジャージをひっさげた今回の幹事さん“ろくばん氏”、腰のチョウツガイは癒えたのか”マロンパパ氏”、ブロガーのアイドル“おやじぃ氏”、そして僕。

 ルートは次のとおり。
8:00 防府新橋近くのセブンイレブンに集合
佐波川自転車道を南下、25号線でツールド秋穂の南半分(秋穂荘登坂アリ)
周防大橋を渡って道の駅きららで休憩&補給
周防大橋を渡ってセミナーパーク、周防往環自転車道で台道方面へ 赤潮離脱

 全員集合。スタート前にひと悶着あった。アイウエアはヘルメットのあご紐の、上に付けるか下に付けるか。僕は上に付ける派だが様々な意見あり(笑
2011072401

 佐波川沿いを南下する間は、絵に描いたようなポタリング。景色と会話を楽しみながらペダルを回す。アベレージ20㎞/hくらいだったろうか。たしかに充実しているが、ゆっくり走るのも意外と疲れるものだ。
2011072402

 防府新大橋を渡ってからの下り。このあたりから列車の速度が上がってゆく。機関車マロンパパ氏がグイグイと牽引する。
2011072403

 当初の予定にはなかったが、せっかくツールド秋穂南側を走るのだから上ってみた。口では言わないが全員覚悟していたと思う。あいお荘ヒルクライム。これは、もうお約束である。
2011072404

 写真を撮る人を撮る。これもお約束。
2011072405

 写真はないが、周防大橋ではマロンパパ氏の絶妙な逃げが決まった。登坂開始の皆が油断している隙をついての猛ダッシュだった。反応できたのはろくばん氏とおやじぃ氏。悔しいが、僕はあっけに取られて見ているだけだった。

 道の駅きららまで走って休憩&補給。僕はクリマサルのミックスソフトをいただいた。美味い。
2011072406

 きららで休憩&補給後、セミナーパークから周防往環へ向かう。
2011072407

 高川学園近くで僕はお別れ。
2011072409

 事故、ケガ、パンク無しで今日も楽しいサイクリングだった。ありがとうございます。また走りましょう。
 どんなときもカメラを手放せないのはブロガーの性か(笑
2011072408


 本日のデータ(赤潮サイコン)

 走行距離  78.7㎞
 走行時間  3:07
 最高速度  43.2㎞/h
 アベレージ 25.2㎞/h


帰路 松柄峠経由

7月22日(金曜日)

 きのう今日と、真夏にしては降り注ぐ日差しが優しい。少しずつ早くなる日暮れに背中を押されるような気がする。この夏の間にやっておきたかったバカがひとつ。通勤の復路でポン太にタッチだ。
 定時に終業。急いでジャージに着替えて仁保を目指す。考えてみれば、こちらから松柄峠を上るのは初めてだった。下りで感じる斜度と上りとでは少し違うようだ。想像していたよりシッティングでいける。
2011072201

 峠を越えると長い下りのご褒美。路面よし、車なしで実に気持ちがヨロシ。まさにウヒョーである。
2011072202

 八坂でポン太にタッチし、ジュースを補給。
 アイドルのお腹はいまだにサラシを巻いた状態。実に気の毒である。勝手に塗ってよいものなら塗ってやりたいくらいだ。ポン太、頑張れ。
2011072203

 ちょっと遠回りをし過ぎたか。家に着くころには薄暗くなってしまった。
2011072204



本日の帰路(下り基調&追い風)

走行距離  63.4㎞
走行時間  2:18 
最高速度  47.2㎞ 
アベレージ 27.4㎞


正田山

7月21日(木曜日)

 やっと風邪が抜けたので自転車通勤を再開した。朝から不安定な天候で帰路は雨を覚悟したが、なんとかもちそうな雰囲気。下の写真は終業後に会社の敷地から撮影したものだ。すぐそこに前線があるかのような空模様。青空と雨雲との境目がくっきりだ。
2011072101

 久しぶりの自転車に気持ちが弾む。脚の調子も良いのでちょっと寄り道を楽しむことにした。
 小鯖小学校近くの正田山(山口市民野外活動広場)へ向かう。
2011072102

 ここが登坂口だ。
2011072103

 頂上の公園には、遊具が備えられている。滑り台が面白そう。
2011072104

 ここの桜は見応えがあると聞く。来年は春先に訪れてみよう。
2011072105

 ふり返って撮影。電柱との対比で雰囲気は分かると思う。そこそこ斜度はあるが短い。秋穂荘のお手軽バージョンといった感じだ。ルートラボでは対応しきれていないので、残念ながら詳細は不明。
2011072106

 帰ってシャワーを浴び、冷えたビールをいただく。

 自転車はやっぱり気持ちがいい。




神招ぎの女

 デスクを片付けていたら、数年前に書いたショートのデータが出てきたのでアップしてみる。自転車を知る前は物語を考えるのが好きだった。これは巫女さんの話。季節外れだけど。

 風邪で自転車に乗っていないのでネタ切れ中。いわゆる苦肉の策。


神招ぎの女

 食事を終えたわたしは白衣の襟元をくつろげ、社務所の隅で一息ついていた。障子越しに射し込むやわらかな光が部屋の畳に濃淡の境をつくっている。たくしあげた緋袴から放り出した両足のふくらはぎが、むくんで熱っぽい。重い腰を捻るように伸びをすると、ひとつ大きなあくびが出た。
 朝から初宮詣と病気平癒の祈願がいくつも重なり、やっとのことで昼の休みを取れた頃には、陽はすでに西へと大きく傾いていた。部屋の中央に置かれた火鉢の中で真っ赤に熾った炭がチリチリと鳴いている。
 年の瀬が近づくと神社に勤める者の目は自然と吊りあがってくる。御煤納め(すす払い)が終わるとすぐに大祓式と除夜、休む間もなく年明けの歳旦と、年末から年始にかけての重要な祭典が幾つも控えているからだ。その間にも日常の神事を滞りなくこなしていかなければならないのだから、神職も巫女の数もそう多くないこの秋島正八幡宮では、毎年それこそ猫の手も借りたいほどの大忙しになってしまう。
 さっきまで後輩の若い巫女が熱心に眺めていた女性週刊誌を手に取ってみる。誌面は芸能情報と痩身広告でいっぱいだ。オーバーサイズのパンツに収まった女が、誇らしげにウエスト部分の生地を摘まみあげている。うたい文句の通りすらりと痩せられるのならば、ちょっと試してみたいとも思う。モデルの小憎らしい笑顔を嫉妬混じりに眺めていると、カラカラと格子戸の引かれる音が聞こえてきた。
 やはりこの時期はのんびりとさせてもらえないようだ。急いで着衣を改め、わたしは御祈祷の受け付けへ立った。
「宮司様はいらっしゃいますでしょうか。また今月も見ていただきにまいりました」
 小柄な婦人が弱々しく顔をほころばせた。身体を半分だけ三和土へ差し入れ、拝殿に向かって視線を泳がせている。しょぼしょぼと目をしばたかせ、背中を丸めて前身ごろをもてあそぶ姿は悪戯を咎められた子供のようだ。
「どうぞ、おあがりください。ただいま宮司の都合を聞いてまいります。お寒うございますので手をお炙りください」
 社務所の中へ招き入れ、火鉢を勧めておく。
 かれこれ半年ほどにはなるだろうか。毎月二十日を過ぎた最初の日曜日の午後に、きまって彼女は宮司を訪ねてくる。神事の合間に行っている副業の評判をどこかで耳にしたらしく、失踪した息子さんの安否を尋ねにきたのが最初だった。
 八方手を尽くした挙げ句の果ての、藁にもすがる思いだったのだろう。当時の婦人は見るからに憔悴しきっていた。立っているのがやっとといった様子で、頭髪に目立つ白いものと眉間や口許に刻まれた深い皺から、五十を幾つも過ぎていないという実年齢よりも遥かに老けた印象を受けたものだ。
 彼女が望んだ副業の儀式は「神招ぎ(かみまねぎ)」と呼ばれている。生者や死者の霊魂を招き、その真意や近況を伝えるもので、俗に言う口寄せや交霊に近い。
「今月も田辺様がおみえになりました。すぐに拝殿へお通ししてよろしいですか」
 建屋の一番奥が宮司の控えの間になっている。襖の外から声を掛けてみたが返事はなく、代わりに押し殺したような含み笑いと衣擦れの音が洩れ聞こえてきた。まただ。おそらく、先ほどから姿の見えない若い巫女とふざけ合っているに違いない。
 四十の中ほどを過ぎるというのに宮司は妻帯していなかった。縁がない訳ではなく、自由を存分に謳歌したいがための独身なのだろうが、苦味の利いた男前のうえ女性に滅法優しいときているから始末におえない。とにかくお盛んなのだ。博愛主義などと本人はうそぶいているが、神職にあるまじき行為は慎んでもらいたい。実際のところ、ここの巫女で部屋に出入していないのは、年増でおかめのわたしくらいなものだろう。
「あら、おかしいわね。お休みになっているのかしら。様子を見てみましょう」
 宮司へ聞こえるようにつぶやくと、
「あいわかった。わかったから開けるではないぞ。私とて生身の人間だ、少しは息抜きをさせておくれ。支度ができたら声を掛けるから、それまでおまえさんが話相手になってさしあげなさい」
 慌てた様子の大声が返ってきた。少々意地悪が過ぎたかもしれない。思わず舌先がのぞきそうになったが、これから向き合う婦人のことを考えると気持ちが沈む。呑気にふざけている場合ではないのだ。
 社務所へ戻ると、彼女は硬い表情で火鉢の中を凝視していた。向いにわたしが座っても、良くできた蝋人形のように一定の姿勢を保ち続けている。婦人は早くにご主人を亡くされ、女手ひとつで息子さんを育てあげた。そのたったひとりの家族の行方がわからないのだ。真っ暗な穴が大きく口を開けていることだろう。呑み込まれそうになるのを、彼女は必死で踏ん張っているに違いない。
「息子さん、ご心配ですね。大丈夫、どこかで元気に暮らしていらっしゃいますよ。きっと、何か止むに止まれぬ理由がおありなんでしょうよ。もうじき帰ってこられますとも」
 うつむいたまま、婦人が小さくかぶりを振った。彼女の顔をあげさせるほどの力を、わたしの言葉は持たない。火鉢の中で炭がはぜ、微かなタールの匂いと一緒にちいさな火の粉が舞った。
「いいえ、あの子は帰りたくても帰れない所にいるんです。間違いありません」
 ぽつり、と婦人が言った。彼女の落ち窪んだ眼から堰を切ったように大粒の涙がこぼれ落ち、ぽたぽたと畳に小さな染みをつくる。気の利いた言葉のひとつもかけられずに、わたしは黙ってそれを見ていた。
 婦人の息子さんは真面目で几帳面な性格だったと聞いている。趣味のスキンダイビングを通して知り合った女性と一度は家庭を持ったのだが、先方から一方的に離縁を迫られたため実家へ帰り婦人と暮らしていたらしい。子供がなかったのは幸いだったが、余ほどに応えたのだろう、ひどく落ち込んだ息子さんは仕事を辞め、数ヶ月ものあいだ自室へ引き篭もってしまったそうだ。
「家を出るとき、息子は晴々とした笑顔でした。あの子は気持ちの踏ん切りを付ける旅行へ出たんですよ。全てを忘れて再出発するために、息子を捨てた嫁と初めて出会った三重県の海岸へ向かったのでしょう。絶対に自殺なんかじゃあありません。死ぬ気の者が海へ潜る道具など持っていくはずはありませんもの」
 自分自身に聞かせるように、婦人が言った。
 目的地の海岸で発見された息子さんの車には、使用された形跡のないスキンダイビングの道具一式が残されていたそうだ。自殺と事件の両方の線で警察による捜査が行われたが消息はつかめず、海上保安庁のヘリと地元漁師により隈なく調べられた海からも手がかりは何もあがらなかったらしい。事件の捜索は打ち切られ、人々の記憶が風化の一途をたどろうとする今も、この小柄な婦人は希望を捨てきれないでいる。
「あの子は生きていますとも」
 婦人が大きな音をたてて鼻をかんだ。息子さんの話を聞くのは、今日で何度目になっただろうか。そして、これから何度おなじ話を聞くことになるのだろう。火鉢に掛けられた鉄瓶から立ちのぼる湯気が、婦人とわたしの間でゆるゆると内側に巻きながら溶けるように消えていく。
「お待たせいたしました。はじめましょう。どうぞ、拝殿へいらしてください」
 部屋の外から、低く抑えた宮司の声が聞こえてきた。
 ここ秋島正八幡宮は外敵侵攻へ対する護りとして、応仁五年(814年)に宇佐から八幡神を勧進したことにはじまる。文亀元年(1501年)に大内義興が社寺を現在の地と定め、現存する社殿は元文五年(1740年)に藩主毛利宗広が建立したものとされている。国の重要文化財に指定された建物は「宮」の字を形づくっており、端整な直線と桧皮葺きの屋根のやわらかな曲線が調和する美しい社だ。御祭神の正面に広がる拝殿の隅の目立たない場所に、屏風で仕切った一角がある。副業の神招ぎは、ここで密かに行われている。
 ゆったりと座った宮司が徐々に目を細めた。儀式はいつも突然はじまる。紅を差したような宮司の唇から低く祝詞が流れ出すと、婦人は身をたたむように平伏した。
「今日も、まず視覚から断ってみましょう」
 祝詞を終えた宮司は、山吹色の狩衣の袂から晒し木綿を取り出して目隠しをはじめた。五感をひとつずつ断っていくと、ある時点で残った感覚のいずれかに尋ね人と同じ状態が宿るらしく、それを丁寧に手繰っていくというのが宮司のやり方だ。映像が見えてくることも稀にあるが、多くの場合は情報の特定が難しい感覚に現れてしまうらしい。婦人の息子さんの場合も、触覚や味覚といったものしか探り出せないでいた。
 宮司が耳に綿を詰めたあたりから、わたしは違和感を覚えはじめた。目が霞むのだ。最初は陽が陰ったほどにしか感じなかったのだが、徐々に視界の色彩が薄れて、物の輪郭がどんどん曖昧になっていく。瞼を擦ってみても視力は戻ってこない。まるで薄闇のなかで水墨画を見ているように遠近感もおかしくなってきた。
 アンモニアの小瓶を自分の鼻先で振る宮司の姿が滲んで見える。三つ目の感覚も断つつもりらしい。突然、視界が大きく歪み、わたしの身体が漂いはじめた。それは高揚感を伴うものではなく、どこかへ吸い込まれていくような寂しさだった。天地の区別も上手くつかない。首筋から背中にかけて触れた渦が体側を撫でながら、ゆっくりと足先へ向かっていく。絶望感が闇のようにわたしを包んだ。それはねっとりと身体にまとわりつき、どんなに抗っても振り払うことができなかった。叫び声すらあげることができずに、わたしは冷え冷えとした孤独へたったひとりで沈んでいった。
「これ、どうした。しっかりせんか」
 頭の芯で宮司の声が響いた。滲んでいた像が徐々に輪郭を結んで、宮司と婦人の顔が浮かびあがってくる。ふたりは、わたしを見おろしていた。
「疲れが溜まっておるのだろう。今日はもうよいから、しばらくそこで横になっていなさい」
 ふたつ折りにした座布団を宮司が頭の下へ敷いてくれた。どうやらわたしは儀式の最中に倒れてしまったらしい。どこといって特に痛むところはないのだが、身体が重く力が入らない。油の切れた蝶番のように節々がきしみ、指先を持ちあげることさえひどく面倒に感じる。これまで何度も宮司の儀式に同席したが、こんなことは初めてだ。
「お騒がせいたしました。申し訳ありません。それでは今日の儀式で手繰れた息子さんの近況についてお話しいたしましょう」
 婦人と話す宮司の声が、妙に艶めかしく耳へ滑り込んできた。
「やはり今回も視覚、聴覚、嗅覚と、感覚を三つまで断つ必要がありました。なんとか皮膚感覚は手繰れたのですが、これだけでは場所や状態を特定することは困難です。残念な結果に終わりましたが、息子さんのおかれている様子くらいは推測できるでしょう」
「やはり息子は生きているんですね」
「断言はできません。できませんが、それを否定する事実もありません。まず私が感じたのは寒さでした。身を切るようなそれは、温暖なここらあたりの気候とは明らかに違っていました。身体の芯まで凍てついてしまうような寒さです」
「どこか北の寒い国で囚われの身になっているのでしょうか」
「囚われの身かどうかはわかりませんが、あまり自由に動ける状態ではないようです。背中一面に身体が沈むような柔らかさも感じました。おそらく、横になっておられるのではないかと思います。あと、時おり身体に何かが触れてくるのを感じました。軽くつつくと言った方が近いかもしれない感覚です」
「病気か何かで療養しているのではありませんか。その息子を、お医者さまが診察していらっしゃるのでは」
「さて、そこまでははっきりしません。せめて息子さんの周りの音が聞こえてくれれば場所を特定できるのでしょうが、私の力が及ばないために中途半端な様子しかお伝えできず、まことに申し訳なく思います」
「頭をお下げになることはありません。息子の様子が少しでもわかれば、それで十分です。宮司様のおかげで、私は来月まで希望をもって生きられるのですから。これは些少ですがお礼でございます。どうぞお納めください」
 安堵のすすり泣きが、しばらく続いた。
 この婦人にとって神招ぎは、何よりの支えになっているのだろう。幾度となく礼を述べる声が聞こえてきた。言葉は力を持っている。神職のものとなれば、なお更だ。語られた宮司の言葉を反芻しようとしたとき、不意に得体の知れない怪物が胸の奥で産声をあげた。それは、あっという間に成長し、ヤスリのような肌でわたしの内側を這い回り、所かまわず喰らいついてきた。
「宮司の方便がわからないのかい? そんなことはないだろう。おまえはみんな知っているのだからね」わたしを喰い尽くした怪物が嘲るように言った。
 儀式がおわり婦人が帰ってからも、わたしの体調は一向に回復しなかった。力が入らないのは相変わらずで、ひとりでは立ちあがることも難しい。宮司が彼の控えの間に布団を敷いてくれたのだが、横になっても眠ることはできなかった。またどこかへ沈んでしまいそうで、目をつぶるのが恐ろしかったのだ。ヤスリの肌を持つ怪物の言葉も気になった。
「元気なだけが取柄のおまえさんが寝込んでしまうなんて、珍しいこともあるものだ。何かおかしな物でも食べたのではないだろうね」
 宮司が穏やかに言った。一応、心配はしてくれているようだ。
 八畳の和室は綺麗に片付けられていた。片隅に小さな祭壇が設けられている以外は、これといった家具も装飾品もない。そこに宮司とふたりきりだ。まさか間違いが起こることはないだろうが、不思議と頬が火照ってくる。
「すみません。わたしは大丈夫ですので、お仕事を続けてください」
 なんとか寝返りぐらいはうてる。気恥ずかしいので宮司に背を向けていると、するすると狩衣を脱ぐ音が聞こえてきた。
 息を呑み、身を硬くしてわたしは待った。
「そうか。では、おまえさんはゆっくりと休んでいなさい。謝礼も入ったことだし、私はちょっと温まりに行ってくるよ。今日はなんだか底冷えがしていけない」
 宮司の言葉に続いて、襖の閉められる音が聞こえた。
 思わず、苦笑が洩れた。わたしは何を期待していたのだろう。途端に身体を覆っていた気だるさが薄れ、代わりに布団の暖かさがわたしを包んだ。
 目をつぶっても孤独な闇や怪物は現れなかった。わたしは眠りに落ちた。
 
 ふと、人の気配に目が覚めた。
 うっかり寝込んでしまっていたようだ。酒臭い息を漂わせ、宮司がわたしをのぞき込んでいる。辺りはすっかり暗くなっていた。
「おお、目が覚めたか。気分はどうかね。もう夜の九時をまわっておる。そろそろ帰らないと家の者が心配するぞ」
 そう言うと宮司は立ちあがり、ふらふらと隅の祭壇へ向かった。相当にご機嫌なようで、見るからに足許があやしい。
「田辺様は来月も二十日過ぎにこられるのだろうな。また酒を飲みに行ける。まったくもって、ありがたいことだ」
「宮司、そのようなことをおっしゃってどうします。助けを求めておいでになる方に失礼ですよ」
「硬いことを申すな。まあよいではないか」
 半身を起こしたわたしを制し、宮司は祭壇の前で二礼と二拍手を行った。「忍び手」と呼ばれる神式の葬儀で行う音をさせない拍手だ。最後にもう一度深々と腰を折り、彼はゆっくりとこちらへ向きなおした。
「儀式の際に、その肌で感じたであろう。おまえさんには神招ぎの資質があったようだね。難儀なことだ。これからは自分をしっかり持っておらんと、招いた霊に呑み込まれてしまうぞ」
 宮司が静かに言った。
「何をおっしゃっているのか、わたしには分かりません」
「意識を失う間際のことを覚えておるはず。深く冷たい海の底に横たわり、おのれの屍を魚についばまれたのではないかな。あれをなんと考える」
 背筋がぞくりと凍えた。慈愛に満ちた宮司の眼差しがわたしに注がれている。
「もしや、田辺様の息子さんは、もう――」

 わたしの胸の中で怪物が冷たく笑った。


 了

夏風邪は

 風邪をひいた。熱はたいしたことないが、喉が痛くて咳が止まらない。そしてお約束の鼻水祭である。

 先週の土曜日のことだ。仕事を終えた僕はロードバイクでの帰宅ライドを楽しんでいた。休み前の開放感も手伝って、ペダリングはすこぶる快調だった。音もなく風景が後方へ流れ去ってゆく。陽はすでに大きく傾いていたが、肌を焦がす強さは残していた。蒸し暑い日だった。
 会社から家までは最短距離で20キロ。21号から25号をつなぐのだが、途中に2箇所の登坂をこなすことになる。ひとつは千切峠、そしてもうひとつは秋穂老人ホーム近くから市役所支所へと向かう緩やかな坂である。後者の坂は距離にして600メートル、斜度はあっても4パーセント前後といったところだ。これを越えさえすれば家に着いたにも等しい。つまり僕にとっては最後の頑張りどころなのである。ビールまでのカウントダウンが始まった状態だ。
 フロントを落とすか、それともアウターのままで行くか。最後の坂ではいつも悩むのだが、この日はアウターで踏んでみた。尻から股関節を意識して、タイミング良く左右のペダルへ体重を移す。少しずつ呼吸は荒くなってゆくが、あがるほどではない。良い感じだ。速度も落とさず、もう少しで上りきれる。そう思ったときだった。
 薄く開いた口をすり抜けて、何かが喉の奥へ入っていった。そして気管の直前に引っかかったような感触。そこそこの大きさのある物体だ。丸く硬く、大きな翼は持っていない感じ。たぶん、テントウ虫かそれに近い形態の何かだろう。反射的に咳き込むが、物体は微動だにしない。つばを飲みこむがダメだ。ボトルを手にして水をがぶ飲みするが、やはりダメだった。
 家に着いてからも色々と試みた。うがい、くしゃみ、咳払い、歯磨き、ついには逆立ち。何をやってもダメだった。喉の奥には何かが貼り付くように在り、常にイガイガイガイガ――  もう不愉快でしょうがない。
 そのうちに何処かへ行ってしまうだろうと、甘く見ていた。しかし喉の奥のイガイガは日付が変わってもそこに在り続けた。これは医者に診せるしかない、そう観念した月曜日の朝、微熱と共に鼻水祭が始まった。喉のイガイガはいつの間にか咳へと変わっていた。
 
 風邪の症状に苦しめられて今日で三日になる。快復へ向かっている自覚はあるのだが、あの喉の奥へと入っていった物体の正体が気にかかる。虫だったのか、それとも気のせいだったのか。

 写真は火曜日の出勤中に撮ったものだ。ジブリの「天空の城ラピュタ」を連想させる雲が正面に浮いている。場所は千切峠の少し先。綺麗なお饅頭型をしている。自転車に乗って見上げたかったものだ。

 最近、よく頭の中で回る曲名が分かったので貼っておく。
「ハトと少年」 シータと出会った翌朝、パズーがラッパで吹いたやつだ。

 http://www.youtube.com/watch?v=Yxx2JpWqpHw

2011071301

 今週は自転車通勤を自粛しようと思う。


20110708

7月08日(金曜日)
 仕事が終わってからANOサイクルへ寄る。シラ君と少し話をして、数点のお買い物。
 左上から、バーテープ、靴下、T氏おススメのアームカバー、そしてグラブ。

2011070801

 自転車の関連用品って、高いよね。使えばその良さは分かるんだけど――



雨でも乗る

7月03日(日曜日)曇天

 T氏の主催によるサイクリングに行ってきた。キーワードは「雨でも乗る」だ。
 メンバーは、T氏、bb1氏、SOSYU氏、(BlueT氏)、yuya氏、ろくばん氏、モカ氏、そして僕。

 集合場所と時間は、防府本橋下駐車場8時30分。家からおよそ20キロ。雨模様なら車載も考えたが、空を覆う雲は薄く見るからに軽そう。降られてもたいしたことはないだろうと判断し、自走を選択。
 本日は山間部を縫うように走るコース取り。補給の準備が肝要である。大道のローソンで、カロリーメイトとゼリーを購入。空けてきた一方のボトルにアクエリアスを倍に希釈して充填しておく。
2011070301

 いつもの自転車道を走り佐波川を北上するが、今日は清掃日だったようだ。大勢の人が道の除草や河川敷のゴミ拾いに精を出していた。なんだか申し訳ない気持ちになる。作業する人の迷惑にならないよう、注意しながら徐行で通過する。

 ほぼ時間通りに到着。集合場所ではほとんどの参加者が準備を終えていた。
 Yuya 氏のTT号に興味津々のSOSYU氏。
2011070302

 左からモカ氏、yuya氏、bb1氏、SOSYU氏
 モカ氏は初めての集団走行。まだこの時点では余裕の笑みが見られる。でも、その笑顔がすぐに消えることを皆は知っている。大丈夫、誰もが通ってきた道だ。
2011070303

 BlueT氏が見送りに来てくれた。体調を崩しているとのこと。残念、次回はご一緒に。
 主催者T氏は正装の鯉のぼりスーツで現れた。やる気満々である。
2011070304

 もうひとりの参加者“ろくばん”氏の待つ徳地ローソンに向けて出発する。
2011070305

 集団は淡々と走る。徳地堀24号から376号へ。
 信号からの再スタートで、崩れた隊列を立て直そうと群れてゆく自転車おじさん達。このときの雰囲気が僕は好きだ。一緒に走る仲間との距離を考えながら自分の位置を決める。
2011070306

 ろくばん氏を飲み込み、集団は八坂のポン太を目指した。
 ここでひと休み。写真はないが、ポン太の腹は修復(手抜き?)されていた。まずは一安心である。
2011070307

 ふれあいパーク大原湖へ向けて走る。
 モカ氏はロードバイクを始めて3ヶ月ほどとのこと。やっと尻が出来てきた頃だろうか。バイクに乗り慣れてくると、その人なりの雰囲気が背中に現れてくる。威圧感というか凄味というか、そんなものだ。前を引くT氏の背中、どうだい実に味わい深いではないか。
2011070308

 Yuya氏は白装束の下にオンヨネ製の鎖帷子を装着しておられた。自ら前をはだけ、写真に撮ってくれとの猛烈アピール。肚力の効果については本人の談を待とう。
2011070309

 何度も試みたのだが、今回は後方撮影の精度が悪かった。なんとか見られるのはこの一枚だけ。ピントは甘いが、左ろくばん氏とbb1氏。
2011070310

 快調に飛ばすピタピタ隊長yuya氏。ごきげんである。
2011070311

 ポン太の父上殿&ふくらはぎにコブラを飼う男ことSOSYU氏も絶好調。このお方に限っては、調子の悪いときがあるとは考えにくい。淡々と、そして粛々とブッ飛ばす人だ。
2011070312

 ゆずりはトンネルを抜け、大原湖を臨む。交通量は極めて少ない。サイクリングロードを走っているかのような錯覚に落ちる。たまに車を見かけるとビックリしてしまう。
 ゆったりと坂を下るyuya氏とbb1氏。
2011070313

 ふれあいパーク大原湖で小休止。ここは虫が多かった。あちこち刺されて、痒いこと痒いこと。
 ちなみにブヨは環境の変化に弱く、わずかな汚染でも姿を消してしまうそうだ。彼らが生息しているということは美しい自然が残っているということらしい。すばらしいことではあるが、痒い。
2011070314

 次の目的地へ向けて、来た道を戻る。
2011070315

 489号から123号(野谷峠)への分岐点でSOSYU氏が集団を離脱。残念ながらお仕事とのこと。次回は1日腹いっぱい遊びましょう。
 みなが見送る中、SOSYU氏は躊躇することなく489号の激坂へ向かってペダルを回した。往路では迂回を選択した9%の斜度だ。ヒラリヒラリとダンシングで舞うように上ってゆく。もはや肉眼では確認できない距離だが、彼の恍惚の表情が見えるようだった。


 野谷峠 ここもなかなかに手強い。湿度が上昇しカメラのレンズが曇り始める。見にくい写真だがご容赦願う。
2011070316

 みごと登坂。前回の雪辱を晴らしたろくばん氏と、それを称えるyuya氏。ちょっと感動した。
2011070317

“モカ氏を気遣うT氏の絵”に見えるが実は――  
 古代ギリシャの南部にはスパルタという軍事都市国家が存在していたわけで(笑
2011070318

 鼻から魂が半分抜けてしまったモカ氏。
 右は汗どころか息すら弾んでいないbb1氏。彼と走るときは彼の知らない道を選ぶべきだ。さもないと間違いなく置いてきぼりを食らうことになる。
2011070319

 仁保道の駅にて。モカ氏はここで離脱。初めての集団走行は如何だっただろうか。
 正直に言うと、彼は途中で遭難するものと思っていた。T氏、SOSYU氏、yuya 氏、そのうえ伝説のbb1氏。実に凶暴なメンバー達である。彼らに混じってよく走り切れたものだ。何らかのスポーツ経験を持っているのかもしれない。それにしてもモカ氏の潜在能力はかなり高いと推察できる。
2011070320

 残った者は補給をしながら次の悪だくみを相談。Yuya氏は1人お買い物中である。このあと氏は、店にノンアルコールビールが置いてないことにおかんむりだった。
 ここでも写真に写る幟は裏側。何故だ。
2011070321

 結局は当初の計画通り桜ヶ峠を上って奈美へ向かうことになった。快調に飛ばすT氏、あくまでもスムーズに回すbb1氏。2人に続く僕の心肺はパンク寸前。ついていくのが精一杯である。
 y氏の姿が見えないが、後で聞くとどこかで脚を攣らしていたらしい。おちゃめさんである。
2011070322

 奈美にてろくばん氏が離脱。集団は4人になり、朝の集合場所へと向かう。

 最後の最後で、突如としてbb1特急が発車した。その速いこと、速いこと。乗るのが精一杯でローテーションなんてできやしない。あっという間に本橋の駐車場へ到着。本日はこれにて解散。
2011070323

 クタクタになりながら、なんとか帰宅。いやいや、なんとも疲れるLSDだった。
2011070324


 シャワーを浴びてビールを飲む。足りなくて、もうひと缶やる。
 横になると動けなくなるので、気合いで畔の草刈りをはじめる。

 風が涼しくなるころ、なんとか草をやっつけた。また汗びっしょり。
 シャワーを浴びて、冷蔵庫を開けると美味そうなビールが―― 以下省略

 事故なし、ケガなし(実は、道の駅仁保で立ちゴケした)、パンクなしで大満足の1日だった。




 本日のデータ(赤潮サイコン)

 走行距離  110.9㎞
 走行時間  4時間23分
 アベレージ 25.3㎞/h
 最高速度  57.2㎞/h



裏目

7月2日(土曜日)
 僕の信頼する天気予報はヤン坊マー坊である。いやいや、正確にはヤン坊マー坊であった。僕の勘がことごとく外れた事実もある。あるが、彼ら2人は最近の予報でまったく結果を残せていないのだ。猛省して欲しい。ここのところ自転車に「乗ると雨、乗らないと晴れ」の裏目が続いている。

 下の写真は6月30日(木曜日)の夕刻に会社の屋上から撮ったものだ。陳腐な言い回しだが、まさに墨を流したような雲行き。この日はバイクで出勤していた。もちろん帰りはびしょびしょだ。たしか、あの日に2人が示していた降水確率は20~30%だったように思う。
2011070201

 そして今日。やはり20~30%の降水確率だった。前回の失敗に学んだ僕はヤン坊マー坊を疑って車で出勤した―― 降りゃあしない。梅雨だからね。予報が難しいのは分かるのだよ。でもねえ。
 
 仕事を終えた僕は、気分を変えて新しい通勤復路ルートを開拓することにした。千切峠の手前から山の方へ向かえば防府に出られるはず。ここだ。ここの三叉路を左折する。
2011070202

 がっかりである。
2011070203


 さて、次の写真は去年の「しまなみアイランドライド」の際に撮ったものだ。ウィットに富んでいて素敵な看板だと思う。ひと目で「オッケー気をつけるよ、ニヤリ」である。
 なぜ山口土木建築事務所もこれが出来ないのだろう。
2011070204

 明日はサイクリングの予定がある。ヤン坊マー坊の予報では40%の降水確率。 さてさて――



プロフィール

オカヒロ

Author:オカヒロ
使い分けるのが面倒になってきたので、これからは本名でいこうと思う。調べてみたところ、非常に世帯数の少ない姓のようである。そのまま漢字で書いてしまうのもあれだから、カタカナにしておく。

FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。